歴史/

ウエットスーツの変遷

ウエットスーツの歴史

1958【昭和33年】
  • ジャック・イヴ・クストー氏(フランス海軍士官)が使用していたウエットスーツを基にウエットスーツ用独立気泡スポンジシートの研究開発に着手。
1959【昭和34年】
  • ナショナル護謨株式会社が、クロロプレンを主材料とした黒色のウエットスーツ用独立気泡スポンジシートの試作品完成。
1960【昭和35年】
  • 1月、ウエットスーツに仕立て潜水テストを開始する。
  • 9月、国産初のウエットスーツ完成。
  • 伊豆大島の海士(アマ)7名がアワビ取りや、天草取り等漁業用とし、国内で初めてウエットスーツを使用する。
1961【昭和36年】
  • 山本化学工業株式会社が、ウエット用スポンジシートの製造を開始。
  • 全国の漁業組合を通じて、海女(海士)用ウエットスーツが普及し始める。
  • ウエットスーツの更なる改良と普及を目的として、『 日本スポンジ衣具協同組合 』が12月に設立された。
1962【昭和37年】
  • スーツの上着のフロントに、洋白(ニッケル)製ファスナーがついたウエットスーツが発売された。
  • ウエットスーツの着脱を良くする事と、破け防止のために、スポンジに繊維を貼る事を考案し、縦横平均に伸びる繊維の研究と、繊維にテンションをかけずに接着させる専門の機械の研究開発に着手。
1963【昭和38年】
  • 5ミリ両面フラットスキン、6ミリ両面フラットスキンの、ウエットスーツが発売される。海中、河川の工事に、水中作業ダイバーが、ウエットスーツを着用し始める。
1964【昭和39年】
  • 片面ナイロンジャージ貼りウエットスーツが発売される。
1965【昭和40年】
  • レジャーダイビング用にウエットスーツが普及し始める。
  • 両面ナイロンジャージ貼りウエットスーツが発売される。
  • 白色のスポンジシート(クロロプレン材)の試作品ができ、5ミリ片面スキンと両面スキンで10数着モニター用ウエットスーツを作りテストを続けたが、気温が低くなるとスポンジが硬くなりすぎて着用することができなくなり未完成に終わる。
1966【昭和41年】
  • 海上保安庁でウエットスーツを常備品として、隊員の着用が採用される。
  • 7月、国内最初のアマチュアサーフィン大会が千葉県鴨川にて日本サーフィン連盟主催により開催された。
  • ジャージ付きウエットスーツの繊維面どうしは、これ迄手縫いで縫い合わせていたが、ドイツより「かがり縫い」のミシンが輸入され、国内で始めて、ミシンで繊維面どうし、スクイ縫いをしたウエットスーツが発売された。
1967【昭和42年】
  • セド化学工業株式会社[現在は無い]が、ウエットスーツ用スポンジシートの製造を開始。
  • 日本スポンジ衣具協同組合が、発展的に解消し、あらためて、『 日本潜水工業会 』として設立される。
  • スポンジシート(クロロプレン材)のカラーが、イエローの5ミリ片面フラットスキンと、両面フラットスキンが完成し腕、脇のラインや、胸のVカットデザインのダイビング用ウエットスーツが発売された。同時にレッド、ブルー、オレンジも発売されたが、この三色は日光での変色が激しく、まもなく製造中止となりイエローのみが1973[昭和53年]まで製造されていた。
1968【昭和43年】
  • ウエットスーツ用のスポンジを使用した、ダイビング用ドライスーツの研究が始まる。
  • 各方向、三倍強伸びる、ライトパイル製のウエットスーツが、発売された。
1969【昭和44年】
  • 大和ゴム化工株式会社[現・大和紡績株式会社、ゴム事業部]がウエットスーツ用スポンジシートの製造を開始。
  • ウエットスーツの対摩擦用素材として、ナイロンジャージの表面に、特殊クロロプレーンをラミネートした、ラジアルスポンジシートが開発され商品化される。
1970【昭和45年】
  • 独立気泡スポンジ製のドライスーツが完成、発売された。
  • ウエットスーツを仕立てる場合、材料のスポンジシートは、これ迄ハサミで裁断する方法しかなかったが、この年ローラーに刃のついたカッターが開発され、スポンジシートをローラーカッターで裁断するようになった。この頃としては画期的な裁断方法であった。
1971【昭和46年】
  • ウエットスーツが渓流釣りの人たちに、釣用ウエットタイツとして、普及し始める。
1972【昭和47年】
  • ウエットスーツ用のスポンジシート材を使用したドライスーツが水中作業ダイバーに普及し始める。
1973【昭和48年】
  • 株式会社アサヒゴム[現在は無い]が、ウエットスーツ用スポンジシートの製造を開始。
  • ウェットスーツが漁業用としては、日本国内全域に普及し、海女(海士)の必需品となる。
1974【昭和49年】
  • 国内最初の、サーフィン用ウエットスーツ専門メーカー誕生。
1975【昭和50年】
  • ウエットスーツがサーフィン用として普及し始める。切口を折り返してチドリ縫いをした、サーファー用ウエットスーツが発売された。
  • 8月、国内最初のプロサーフィン大会が、東京都・新島にて、日本プロサーフィン連盟主催により開催された。
1976【昭和51年】
  • 今まで両面ジャージ用のスポンジは黒色だけであったが、この年に白色のスポンジが開発され発売された。白色のスポンジを使用することにより一段とジャージのカラーが鮮やかになり、ウエットスーツがカラフルになってきた。
1977【昭和52年】
  • ボードセーリング(ウインドサーフィン)用ウエットスーツが発売された。
  • ボディーボード(ブギーボード)が流行し始める。
1978【昭和53年】
  • ナイロンジャージの代わりにポリウレタン繊維(一般的にオペロン等と呼ばれている)を表にしたウエットスーツが発売され同時に、衿回りや袖口の裁断面に、ポリウレタン繊維をパイピングした、ファッション的に完成度の高いウエットスーツが発売された。 
1980【昭和55年】
  • ウエットスーツがダイビング、フィッシング、サーフィン、ボードセーリングにと、層が広がり需要数が急増した。
1981【昭和56年】
  • ひざにパットの付いたウエットスーツが発売された。ウエットスーツメーカーが、生産管理の合理化や、型紙管理を目的に、コンピューター利用の検討を始める。又、数社のスーツメーカーがコンピューターを導入した。
1983【昭和58年】
  • ウエットスーツの多様化に伴い、カラフルなデザインスーツの販売競争が激しくなる。
1984【昭和59年】
  • 平和ゴム工業株式会社[現・平和株式会社]が、ウエットスーツ用スポンジシートの製造を開始。
1985【昭和60年】
  • ドライスーツ用の防水ファスナーは、これまで、輸入品のみでたいへん高価なうえに、入手も困難であった。この年、吉田工業株式会社[現・ Y K K 株式会社]が、水密・気密ファスナーを国産化し、発売を開始したことによりスポンジ使用のドライスーツがレジャーダイビング用として、普及し始める。
  • 水上バイク(ジェットスキー)用、ウエットスーツが発売される。
1986【昭和60年】
  • 簡易防水ファスナーを使用した、サーフィン用ウエットスーツがセミドライスーツとして、発売された。
  • トライアスロンに使用する、ウエットスーツが発売された。
1988【昭和63年】
  • C S M (ハイパロン等と呼ばれている)素材カラースポンジが開発され、ウエットスーツが発売された。
1989【平成 元年】
  • 日本国内の主だったウエットスーツメーカーにより、ウエットスーツ業界の発展に寄与する事を目的として、『 日本ウエットスーツ工業会 』が設立される。
  • ウエットスーツの型紙の作成は、これまで人の手作業で作られてきたが、コンピューター( C A D )システムを導入して、型紙作成をする、ウエットスーツメーカーが増えてきた。
1990【平成02年】
  • プリント柄繊維のウエットスーツが発売される。又、繊維の研究が進み、ハイストレッチジャージ、保温効果を高めるセラミックス入りジャージ等、色々な種類の繊維を貼ったウエットスーツや、ドライスーツが発売される。
1991【平成03年】
  • スポンジ使用のドライスーツが、レジャーダイバーに定着する。
1992【平成04年】
  • 国内の主だったウエットスーツメーカーが、コンピューター(C A D)システムを導入して、型紙の作成をするようになり製造の合理化はもとより、従来、手加工による職人わざ的な、型紙製作者の、後継者作り問題も解決し始めた。
  • ライトスーツ[薄くて軽いウエットスーツ]が発売された。
1993【平成05年】
  • スポンジゴムのスキン表面を特殊な加工技術により、肌とウエットスーツのゴムスキンを滑りやすくした、スポンジシートが開発され、スリップスキン、ウエットスーツが発売された。
1995【平成07年】
  • スリップスキン、ウエットスーツの効果が、高く評価され需要数が急増してきた。
1996【平成08年】
  • 黒色だけだった、スリップスキンの表面色に、シルバー、ゴールド、等の色のついたウエットスーツが発売された。  
1999【平成11年】
  • 日本ウエットスーツ工業会は創立10周年を迎える。
    (10月現在、正会員32社・賛助会員28社、合計60社)